シュークリームとワイン
分校からの帰り道。古手神社の階段を、1人で上る。
と、階段の上でガランガランと鈴が鳴った。間があってパンパン、と柏手の音もする。
誰が来ているのだろうか。
一段一段と階段を上りきった時に見えたのは、きちんと着込んだスーツだった。
そんなきっちりした格好でお参りをするなんて、いったいどこの誰?
そう思ったが、すぐに誰か気づいた。圭一だ。
むこうもこちらを振り向いて、顔を明るくした。
「よかった、まだいないかと思った。おかえり」
「ただいま。…どうしたの?」
「明日のためのご祈願。お供えも」
言って傍らの紙袋を差し出す。紙袋の中を覗くと、シュークリーム4つに、ワイン1瓶が顔を出した。ワインは若いが、1983年製だ。
あの忌々しい数字も、こうしてワインのラベルになってしまうとどこか懐かしく、そして嬉しいものになる。1983年製のワインが出回るぐらいには、時間が過ぎたのだ。
「オヤシロさまも舌なめずりして喜ぶでしょうね。私もご祈祷頑張ろうかしら」
「う、やっぱりご祈祷しないとまずいのか…」
圭一はあからさまに顔色を悪くした。
明日、圭一は18の誕生日を迎える。
それと同時に、園崎に正式な挨拶をするつもりだった。
圭一自身はまだ高校3年生だが、雛見沢で生きたいという圭一の意志で、大学をここから通える場所に定めていた。このまま雛見沢で骨を埋める覚悟まであるらしい。
魅音は一足早く卒業し、お魎のもとで党首として鍛え抜かれている。58年を乗り越えた魅音にあった弱さは、目に見えては感じなくなった。
園崎との顔合わせはとっくの昔に済ませているし(というか、園崎側が圭一に興味津々だった)、何を今更と思うには思うのだが、形式上はとらねばならない。それは雛見沢が変わろうとするために必要なことだった。
当然、園崎の跡取りの話にも及ぶ。公由、古手両家も出頭を求められていた。
誰も反対はしないだろう。誰もが、圭一の覚悟を見届けるためにその場に立つだけだ。
「しかし、"あの"圭一が、ねえ…」
「…なんだよ梨花ちゃん」
あの頃より、頭ふたつぶん大きくなってしまった圭一を見上げる。圭一は不服そうな顔をしてこちらを見た。私は相も変わらず小さいままだ。
牛乳を躍起になって飲んだ時期もあったけど、その努力もむなしく終わった。…いいえ、諦めないんだから!
「…もしかして、反対派なのか?」
「ひどいわね、心配しなくても反対しないわよ。実は圭一の愛人なんだって場をひっかき回すかもしれないけど」
「いやいやいやいや、茶化しは一切ナシで頼む!!」
冗談をふっかけると、圭一は蒼白な顔でぶんぶん頭を振った。
「日本刀での出迎えだって覚悟してるんだからさ…はぁ…」
そうしてがっくりと肩を落とした。まさか、顔合わせ前日男子の姿だとは到底思えまい。冗談すら通じないとは。
くすくす笑って、お供えを捧げるべく拝殿の襖を開ける。ローファーを脱いであがった。
普通なら装束に着替えた上でお祓いやらなんやらしてから上げなければならないけど、圭一の差し入れだ。しかもシュークリームにワイン、「祓う」ものは何もない。
ワインの栓を、社殿の中に常備してあるコルク抜きで外す。うん、いい香り。
まだ若い、赤いワインを御神酒用の白い御猪口に注ぎ、シュークリームも三方へ載せる。三方ごと、
「…そんな簡単でいいのか」
と見ている圭一がびっくりするぐらいに、儀式もへったくれもなく、拝殿の奥、本殿に一番近い祭壇に置いた。
「これは特別よ。早くって地団太踏んでる気がしてならないのよね」
「…ふーん…」
ローファーを履き終え拝殿に向き直り、ようやく例に則って二礼二拍手。遅れて、圭一が手を鳴らす音も響いた。
礼だけは揃った。
拝殿の襖を閉めると、圭一は突然切り出してきた。
これが本題だったことぐらいはわかる。
「梨花ちゃんには話しておきたいことがあるんだ。詩音が「根回しは大事」だとか言うんだが、俺に根回しができそうなの梨花ちゃんしかいないんだよ。手順間違うと縁談すらなかったことにされそうだし」
…ん? 私は首を傾げる。
何を根回しするというのだろう。お魎だって、威嚇はポーズだけで圭一のことは大のお気に入りだ。圭一だってその事実を理解している。お魎はどうせ「好きにせい」と魅音に丸投げするに違いないのに。
しかも、詩音が絡んでるときた。ただ事ではない。
「何を根回しするの? …まさか、本当に私が反対すると思ってた?」
「そうじゃないけど。…うーん。詩音から…いや、魅音から頼まれてることがあって、さ」
そう言って、圭一は私の反応を伺うかのようにこちらを見た。…私の反応から何を読みとろうとしている?
「それで確認しておきたいんだけど、園崎は、鬼の子なんだよな?」
圭一はやっぱり、どこか探るように言った。
…オヤシロ伝説のことを、今更蒸し返されるとは思わなかった。すっかり遠くなった記憶を掘り返す。
あの繰り返される夏を越え、常に傍にいた存在がいなくなった時、私は貪るようにオヤシロ伝説関連を洗った。記述は統一性もないし、信憑性も低い。それでも、些細な情報のひとつでもいいから得たかった。
でも、それもすべて過去の話となってしまった。
オヤシロ様は人と鬼を繋いだ縁結びの神様として、今ここに黙って祀られている。
社殿の向こうに想いを馳せてから、口を開く。
「…鬼と人間の間に生まれた子が、災いを呼ぶとされた鬼を討った。でも、鬼がいなくなっても災いが起こった。それを鬼ヶ淵村の人々はオヤシロさまの祟りだと言って、鬼殺しの罪を村全体で、特に重たい罪を鬼殺しを先導していた園崎と公由が背負った。…簡単に言うとこんな話ね」
「公由は鬼の字を分解して、園崎は名前に鬼を冠して…入れ墨を背中にいれて、だよな」
「私はその入れ墨見たことないけどね。どうなの? その辺」
と言うと、圭一はぼん、と噴火が起きたかと思うぐらいに真っ赤になった。
…おや。意外だ。こんな初々しい反応久しぶりに見た。
「なっ、お、おおお俺だって見たことないって!」
しかも見たことがないと来た。意外を通りこしてがっかりだ。
「なーんだ、つまんないのです。にぱー☆」
「急に猫かぶらないでくれよ…」
今の一瞬で圭一がだいぶ老け込んだような気がする。にしても、分別もあったようだ。
感心していると、
「…って、そんなことはいいんだよっ」
と圭一は首を振った。
「その、名前に鬼の字を入れたり、入れ墨彫ったり、そういうのオヤシロさまはどう思ってるのかなってさ…巫女様に聞けばわかると思って」
―――望んでないのですっ。
声を聞かなくなって久しい。それでも、たった今羽入が隣でそう言ったような気がした。
圭一を再び見る。この根回しが意味するところが、なんとなく読めてきた。
魅、いや、詩音の入れ墨と名前に対する罪のことを圭一は言っているのだ。
だから圭一はさっき詩音と言ったのをわざわざ魅音と言い直したのだ。その言い直しに対して、私がどういう反応をするのかを見るために。
詩音が根回しするようにと言ったのだったっけ。…全部に納得がいった。園崎の当主という嫌な役回りを魅音にさせてしまっていると常々悩んでいるのは詩音だ。
さて、そこまではわかった。けど、それは100年あの夏を繰り返したから私の中にある知識だ。"古手梨花"が持ち合わせていい知識ではない。
私はもう、魔女じゃない。
「…鬼を退治したのも、鬼を畏れたのも、鬼を敬うのも、全部人間の勝手よ。オヤシロさまに意見を求めることの方が間違ってる」
「…そう、だよな」
圭一は噛みしめるように言って、視線を落とした。
一言、付け足す。
「…でも、あえていうなら悲しんでいるんじゃないかしら。もう遙か昔に終わったことなんだから」
圭一はハッと顔を上げた。
「雛見沢は変わろうとしてる。でも、そう簡単には変われない。それぞれがしがらみや、守らなきゃならないものをたくさん持ってる。変わるということは、今まで持っていたものを捨てなきゃならないってこと。よかれ悪かれ、ね」
息をつく。また吸った。
「でも、罪は背に負う側の問題よ。…圭一にはおぼえがあるんじゃないかしら」
私の頭の中には、圭一に赦すといった世界が蘇る。圭一の頭の中にはそれが思い浮かんだかどうかはわからない。でも、圭一は黙って頷いた。
「今日の私に言えるのはここまで。…あとは園崎の問題」
最後に小さく呟き付け足す。でも、圭一にはその一言は伝わった。
「…ありがとう。覚悟が決まった」
圭一は、まっすぐにお社を、その向こうを見た。
明日、圭一はおそらく園崎のこれまでをぶち壊すような発言をする。その発言は、園崎の権力を縮小させるものにもなりかねない。
でも、それでいいんだ。お魎が前原家を受け入れたんだから。
受け入れた新しい風は、雛見沢に、園崎に吹き込みそうだった。
翌日、圭一は私が思っていた以上に園崎の事情を知っていて、園崎のことを想い、その上で圭一にできる最善を尽くした。
ふたりは誰よりも、他でもないオヤシロさまに祝福されるに違いない。
鬼の子は人の子と結ばれた、か。
悪くないわね、羽入。